2話




  河田の次期当主としての責務は、すべて兄の武雄が背負っていて、次男の彼にはそんな重責の“じゅ”さえ抱えていない。
 茉莉と同い年の18歳のはずだった。
「茉莉もこんな退屈な所でくすぶってないで、こっちおいでよ。」
 大人達の間に割って入り、ガシッと茉莉の手をつかんで立ち上がらせると、クルリと河田和臣に顔を向けた。
「父さん。いいですよね。茉莉をお借りしても。」
 と問いかけると、和臣がヤレヤレといった感じで、それでも息子の事が可愛くてしかたがないらしい。
 優しい笑顔を浮かべて
「茉莉さんをあまり引っ張り回すものじゃないよ。」
 と答えるのだった。
「分かってますって。」
 軽く返事して、茉莉に向きなおって
「行こう。」
 と、手を引く歩に引きずられるようにして、居間を後にする。
「ちょっと。痛いじゃない・・。」
 居間のドアは開け放たれているので、そんなに大声をあげれない。小さく抗議の声をあげる茉莉に、歩はいたずらっ子のような表情でチラリと見返してくるのみ。
 この天真爛漫さは、いつも茉莉を苛立たせた。
 こんな行為にしても、そうだった。
 歩が、こんな事をしても許されてしまうのは、血統のいい家柄に生まれたがゆえのものだ。彼だからこそ、許された所作。
 雑種の血が流れる茉莉には、許されない行為だろう。
 彼を目の前にすると、それをイヤでも思い知らされるのだ。
「痛いって言ってるじゃないの!」
 屋敷の外に出て、やっと大きな声で怒鳴り声をあげて、歩の拘束を解くことが出来る。
「・・・痛かった?痛いほどに握ってないはずだけど?」
 確かに、痛くはなかった。強引な彼の調子に、腹立たしい物を感じたから言っただけで・・。
「私が痛いって言ってるんだから、痛いに決まってるじゃない。」
 歩の前に出ると、つい憎まれ口を叩いてしまう。
 調子が狂う。
 必死で取り繕っている“高野茉莉”の顔が、おかしくなるのだ。
「どれ、見せてみなよ。痕になっているか、見てやるから。」
 図々しくも、彼は異性に対して、やたらボディタッチがさり気なくウマい。
 茉莉の服の袖を、捲りあげようとしてくるのだから、あわてて後ずさった。
「なぜ、わざわざあなたに見せなくちゃならないのかしら?」
 ツンと高飛車な調子で答える茉莉に、歩が目を見開いて満足げな顔をする。
「さすが茉莉ちゃん。麗しの玉体に触れるのは、シモベである俺でもってしても禁忌なわけだものね。」
 と、問いかけてくる。
 カッとなった。
 これもいつもの事だった。
 歩は茉莉を、どこかの王女か、それこそ女王のように、矜持の高い女性として扱った。
 あまりにうやうやしい仕草で接してくる時があるから、イヤ味なくらい。
 それはもちろん、茉莉に高野の血が流れていないなんて知らされていない(・・理由あって高野の両親と祖母だけが知っている事実だった)から出てくる言葉なのだろうが、これが茉莉を最大限に苛立たせる
「意味わかんないわ。・・・で、わざわざあそこから私を連れ出したんだから、理由があるんでしょうね。」
 怒りですわった目付きになって問いかける茉莉に、歩はこたえた様子もなく、
「うちの庭のアンクルウォルター。毎年咲くのを楽しみにしていたろう?
 やっと咲いたから見せてあげようと思ってさ。」
 言って、また茉莉の腕をとって行こう。と、もちかける彼の手腕は、さすがなものだ。
 結局は怒った顔のまま、歩の言うがままに、例の花のある庭に連れて行かれるのだった。
 茉莉がかつて住んだ高野家の本家の庭もそうだったが、河田家の庭も歴史あるだけに特徴が際立っていた。みるだけで圧巻なほど。
 広大な敷地面積を利用して、まるで森のような景観を醸し出している部分と、洋館の側に家人が趣味で咲かせる、こじんまりとしたスペースとに、別れているのが特徴だった。
 茉莉が連れてこられた一角は、家人が個人的に使う場所だ。
 花壇の中で、小さな花がちらほらと咲きだしている。
 歩は、アスターやバーベナ。紫陽花やスズラン。ベニュチアなど、初夏を象徴する花々を茉莉に見せて回る。
「これ、咲き始めたばかりだけれど、いい感じだろ?
 茉莉が来るのが分かったのかな?」
 言って見せたのは、薔薇の品種の一つの蔓花。
 アンクルウォルターを指差して、ニッコリ笑いかけて言ってくる頃には、さすがに毒気を抜かれたようになってしまって、さっきの“怒り”はどこへやら。
 花達に癒された茉莉の口からは、さっきの勢いは消えてしまった。
「・・・みんな綺麗に咲いているわ。相変わらず、歩さんはマメね・・・。」
 ポツリと漏らすのみで、柔らかな視線で花を見やる茉莉の表情を見て、歩は満足げな吐息を漏らす。
「いつものベンチに座る?そこでお茶を持ってこさせようか。」
「お茶は、さっき飲んだからいらない。でも、ベンチに腰掛けるくらいならいいわ。」
 茉莉の応えに、歩もコクリとうなずき、二人は庭の中にある休憩所に向かう。
 石畳の一角にしつらわれたそこは、日よけもついてあり、鋳鉄製のしっかりとしたテーブルとイスのセットがあった。
 いつものように二人は腰掛け、茉莉は歩が今栽培しようとしている花々の話を黙って聞く羽目になるのだった。
 けれども花の話をする彼の表情を見るのは、単純に好きだった。
「今、温室でひまわりを植えているから、いち早くここで見れるよ。」
 だから、またおいでよ。
 歩のセリフに、茉莉は自然にうなずく。
「・・・ひまわりは、茉莉の花だよ。」
 ふいに言われて、目をパチクリさせる茉莉に、
「灼熱の太陽のもとで、誇り高く、まっすく天を向いて伸びてゆく。そしてたくさんの種を残すんだ。
 ひまわりこそ、花の中ではクイーンだと思うんだよ。勝手な解釈だけどね。
 俺は、どんな花よりひまわりが好きなんだ。」
 茉莉の隣に座った歩は、いつの間にか肩に手をやっていて、顔をこれ以上近づきすぎる事が出来ないくらいに近づいていて、ちょっと触れればキスでも出来るくらいだ。
 真摯に見つめてくる彼の瞳は独特の熱を帯びていて、囁く言葉は、とても甘い。
(あーあ、またいつものお世辞が始まった・・。)